3.11東日本大震災から8年が経ちます。風化させてはいけない。

    

2011年3月11日の東日本大震災から、

今年で8年が経過しようとしています。

 

当時の自分は会社で仕事をしていました。

とてつもない地震で会社は操業を中止して、

社員集団で帰宅して、自宅待機をすることになりました。

 

自宅待機中に津波や震災の被害を知ることになります。

 

最近では震災のその後復興についてあまり報道もされていませんね。

今回は自分の震災の経験をもとにまとめていきます。

 

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3.11東日本大震災から8年が経ちます

 

2011年3月11日、

午後2時46分に東日本に大地震が発生しました

 

今年は2019年なので、8年が経過しようとしています。

 

 

マグニチュード9.0という、

とてつもない地震によって大津波が発生して、

東北地方の沿岸部周辺に壊滅的な被害を起こしました。

 

1万8000人以上の人犠牲者となって

行方不明者となってしまう被害をもたらしました。

 

 

大津波はさらに、

東京電力の福島第一原子力発電所にも原発事故を引き起こします。

 

原発事故によって放射性物質が拡散してしまい、

16万人以上の人が避難を余儀なくされました。

 

東日本大震災の発生当時は、47万人の方が避難されています。

 

移住先で新生活を築いている世帯も多いですが、

家族や友人を亡くしてしまった精神的被害ははかりしれません。

 

復興や原発事故の終息には、まだまだ課題や問題が多く残っていて、

いやおうなしに「故郷」を捨てざるをえなかった人たちが犠牲になりました。

 

原発事故を含めても、戻りたくても戻れない問題がたくさん残っています。

 

 

復興や復旧は進んだとして「心の問題」や原発事故の問題には、

これからもかなりの時間が必要でしょう。

 

そして、決して風化させてはいけないものです

 

報道やメディアも東日本大震災や原発事故について、

あまり報道をしなくなっています。

 

たしかに被災者の人のなかには、

思い出したくない」という人もいます。

 

そっとしておいてほしい」という人も実際にいるでしょう。

 

 

でも、過去に起きた事象として後世に正確に残しておくべきものでもあります。

同じ悲しみや悲劇を生まないためにも思い返して、遡っていくことは必要です。

 

被災されてない方や知らない世代にも、

震災というものの怖さを伝えていくべきだと思っています

 

 

3.11の大地震の日

 

2011年3月11日午後2時46分のとき、

筆者は関東の工場で仕事していました

 

東日本大震災の当時の経験などについてまとめていきます。

 

 

いわゆる「流れ作業」なので、

自分の前のスペースで同僚も何人か作業していました。

 

地下で作業していたので、地震の感覚があまりありませんでした。

体調もあまり良くなかったので、「立ちくらみかな?」という感覚でした。

 

 

前で作業している同僚がフラフラしていることに気がつきます

 

立ちくらみじゃなかったんだ!」と、地震を確信しました。

 

それから天井から土ぼこりのようなものが降ってきたり、

蛍光灯が外れそうなほど揺れているのも確認しました

 

 

普通に立っていられませんでした

 

しばらくすると地震の揺れはおさまるどころか、

激しいものになっていきました。

前の方で作業していた数人の同僚も柵や柱に必死にしがみついていました。

 

今まで感じたことのない地震の揺れに次第に恐怖を感じていきます

揺れている時間は数分程度ではありましたが、とても長く感じたのを覚えています。

 

 

揺れがおさまったところで「避難」の緊急放送が鳴り響きました。

作業は完全中止! すぐ屋外へ避難せよ!」と繰り返し放送されていました。

 

ただ、作業によって危険物や有機物を扱っているものもあり、

そのままにしておけません。

 

火事や火災の二次被害にならないように、

密閉や保管をしておく必要があります

 

 

いつもは当たり前にようにしている作業が慌ててうまくできません

 

危険物や有機物の保管なんていつも当たり前に作業しているのに、

気持ちが慌ててしまって、うまく密閉や保管ができなかったんです

 

想定していない地震の怖さにパニックを起こしてしまったようです。

他の同僚も同じでした。

 

同僚と協力しながら危険物の処理をして、屋外へ避難をしました。

 

地震についての記事をまとめています

➡地震が来たらまずすることは?正しい行動と避難の方法とは

 

 

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家族と連絡がとれない

 

工場の屋内で作業していた人間は、

なんとか全員屋外へ避難できました。

 

わりと迅速にみんな避難できていましたね。

 

屋外の広い場所で点呼をとり、作業者の人数の確認をしていました。

その時は時間でいうと、午後3時を少し過ぎていたと覚えています。

 

 

その間も余震が続きます

 

揺れこそそんな大きくないんですが、

なんともいえない感覚で余震が起きていました。

 

工場の窓ガラスがそのたびにきしむ音がしていましたね。

 

事務所で全員で待機しながら、テレビのニュースを見ていました。

そのときにはまだ津波の情報はなく、

都内の建物から看板や街灯が落下したニュースばかりでしたね。

 

そのときすでに津波が起きていたことがわかるのは、ずっと先です

 

 

それから、上司から全員に家族へ連絡するように指示されます

みんなで一緒にロッカー室に戻り、携帯電話を取りに行きました。

 

何度も連絡してみますが、全然つながりませんでした

 

筆者は一人暮らしですが、

両親は近くに住んでいたのでとても心配でした。

 

同僚も家族や奥さんとまったく連絡がとれず、

みんなで不安になったのを覚えています。

 

メールに切り替えてみますが、「送信失敗」となってしまいます。

今は当たり前のLINEも当時はほとんどの人がやってませんでしたね

 

 

家族に連絡がとれないことは不安ですが、会社も緊急会議を開きます

半日は会社で待機していて、帰宅と自宅待機を命じられました。

 

その時は午後の10時半くらいでしたね。

 

 

帰宅は道路、コンビニ、ガソリンスタンドは大渋滞

 

帰宅と自宅待機を命じられて、急いで家に帰宅することなります。

 

着替えたり荷物の整理して、午後11時を過ぎるところでしたね。

車通勤だったので、車に急いで乗り込み自宅へ急ぎました。

 

しかし、帰宅途中の道路は大渋滞していました

 

ほとんどの会社が同じように会社で社員を待機させて、

一斉に帰宅させたようです。

 

集団で徒歩で帰宅している会社員の人たちも多かったですね

午後11時を過ぎているのに、道路は人や車で溢れていました。

 

 

普段なら20分もかからない通勤路に、1時間以上かかっていました

家に帰っても特に食べ物がなかったので、コンビニに寄りました。

 

コンビニに食料がほとんどありませんでした

 

おにぎりやパン、

インスタントラーメンなど手軽に買えるものが全て売れ切れです。

 

異様にコンビニも混んでいました。

お客さんはいるけど物がないんです。

 

これには衝撃を覚えましたね。コンビニで食べ物が買えないなんて

少々高めの冷凍食品と飲料水だけ確保できました。

 

 

数日間の自宅待機なので、車にガソリンを入れておこうと思いました。

 

ガソリンスタンドも渋滞していました

 

これもはじめての経験です。ガソリンスタンドで渋滞するとは

このガソリンスタンドの渋滞中に、家族や友人と連絡がとれました。

 

送信したメールが一気に届いたり、受信されました

とくに誰も大きな被害がなかったので、ホッとしたのを覚えています。

 

でも後日に、このときにがんばって給油できて良かったことになります。

さらに日が経つと、ガソリン不足が深刻化していくからです。

 

1時間以上待って、ようやく給油できました。

 

火事や火災について記事をまとめています

➡火事や火災の原因と対策や乾燥する時期と静電気の関係とは?

 

 

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余震がさらに続いていた

 

ようやく自宅に着いたのは、午前1時を少し過ぎたところでしたね。

筆者の自宅は10階ですが、家の中はテーブルのコップが倒れていたくらいでした。

 

ただ当時、マンションの外壁工事をやっていて、

ベランダに足場を組むパイプが作業のために、かなりの数が置かれていたんです。

 

そのパイプがベランダでバラバラになっていました

 

バラバラになってもよく窓ガラスが割れなかったな、と今でも思います。

また、ばらけて落下でもしたらもっと大変です

 

暗がりでパイプを確認して、しっかり固定させました。

深夜でとても寒かったのを覚えています。

 

 

テレビを付けてニュースで、

ようやく津波の被害を知ることになります

 

具体的な被害はわかりませんでしたが、

東北に大津波が襲ったことをここでようやく知ることになります。

 

地震の大きさを改めて知ることになるのです

 

 

その間もテレビから緊急地震速報が飛び込んできて、

余震がさらに続いていました

 

入浴中にも余震がきたりして、とても不安な夜でしたね。

ずっとテレビを付けたまま寝ることにしました。

 

自宅に帰ってからも数回は余震が続いていましたからね。

余震のたびにテレビから緊急地震速報が出ました。

 

一人暮らしだったので、とても不安でなかなか寝つけませんでした

 

自宅に常備しておきたい防災グッズです

 

翌日からの自宅待機で、

テレビから津波の被害や被災地について詳しく知ることになります

 

こちらの記事も良く読まれています

➡黄砂はいつからいつまで続くのか。ピークの時期とは

 

3.11東日本大震災のまとめと筆者の感想

 

被災地の方からすれば、筆者も経験なんて大したものではありません。

被災された方の悲しみや失ったものを考えると、比較することはできません。

 

 

ただ、あの地震の恐怖や不安は今でも覚えているし、

これからも忘れてはいけないものだと思っています。

 

 

自分たちにできることは

風化させてはいけない、ということです

 

辛かったり怖かったことや悲しかったこと、

疑問や不信に思ったことは風化させはていけません。

 

復興は進んでいますが、実際にはまだ問題も多く残っています。

原発事故については、いつ終息するのかさえ疑問のままです

 

 

マスコミやメディアも東日本大震災のについて、

報道することが減りつつあります。

 

復興について問題点などをもっと指摘していくべきです

 

原発事故については、

もっと国やマスコミは東京電力に対して追及していくべきだと思っています。

 

 

福島の原発事故の汚染水はどうなっているんですか?

原発事故はいつ終息するんですか?

 

原発事故が解決していないのに、再稼働して大丈夫なんですか?

また大きな地震がきたら原発事故は起きないんですか?

電気が足りなくなるならみんなでまた計画停電しましょうよ?

 

 

復興作業や原発事故については疑問ばかりのはずです

絶対に風化させていけないし、繰り返してはいけません

 

 

被災地の一日でも早い復興を願っています。

少しでも被災地の方の力になれたら、と思います。

ここまでお読みくださり、本当にありがとうございます。

 

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