精神論や根性論で生きてきた中高年に知ってほしいこと
「気合が足りない」とか「根性が足りない」とか、
若い頃よく人生の先輩たちからハッパをかけられてきました。
いざ中高年になって人生の後輩が増えてくると、
自分もまた、後輩たちに精神論や根性論を展開していました。
最近は、今まで教わってきたことや教えてきたことについて、
疑問を持つようになりました。
精神論や根性論で生きてきた筆者のような中高年について、
まとめていきます。
夏の合宿では「水を飲むな」
筆者の学生時代は野球部に所属していた。
筆者は40代の中年なんですが、
当時は運動部の部活といえば精神論や根性論そのものでしたね。
「気合」「根性」「努力」「礼儀」など、
実にさまざまことを習っていましたね。
精神を鍛えたり体力をつけるだけでなく、
上下関係や集団生活のルールを学ぶのに必要だった、
と今でも理解しています。
ただ、改めて考えてみると、
今では考えられないようなこともありましたね。
夏の練習や合宿では飲水を制限されていた。
真夏では何もしなくても汗が出るものですよね。
今ではとても考えられないことでしょう。
練習がキツイのは当然ですが、
水分がとれないことが一番辛かった思い出ですね。
練習施設の水道では、蛇口のハンドル部分が外されていたりして、
とにかく飲水禁止を徹底していました。
練習という名の「修業」だった。
当時は「熱中症」なんてワードはなかったし、
練習中に倒れてしまったりすると、「気合が足りない」「根性がない」、
などのレッテルを貼られてしまいます。
倒れるほうが「弱い」「悪い」という感覚でした。
練習という名の修業だったと今でも理解はしています。
辛いことに耐えることが全てだと信じていたからです。
仕事を覚えて見返しやろう
社会人になってからも精神論や根性論が全てだった。
会社勤めするようになってからも、
「気合だ」「根性だ」で邁進してきました。
当時は団塊の世代の先輩たちがたくさんいて、
仕事をしない人に限って理不尽な命令をしてきたりして。
仕事に対して正当な評価や扱いをされないことで、
毎日悔しい思いをしていましたね。
悔しさを糧に仕事を覚えて見返してやろう。
仕事のノウハウやポイントをどんどん覚えてしまおう。
先輩たちの知らないことまで覚えてしまおう。
そんな野心で20~30代までがむしゃらに仕事をしていました。
そこには今までの精神論や根性論が生かされていました。
その甲斐あってか、少しずつ大きな仕事を任されたり、
意見を聞いてもらえるようになっていました。
指導する側になっても精神論や根性論。
自分がそれでやってきたから、それが正しいと思っていました。
なにも疑うことなく同僚や部下、後輩たちにも促していました。
勢いや体力がある若いうちはそれで済んでしまうことがあります。
ただ、ずっと同じ状態は続かないものです。
実際に犠牲になり続けることでわかってくるものです。
特に中高年になるほどにその変化を実感していきます。
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犠牲になることは美しいのか?
野球では送りバントは勝利の鉄則。
送りバントは、自分を犠牲にして走者を進塁させます。
走者を進めることで得点につながる可能性を高めていきます。
送りバントが成功するかしないかで、
勝敗に大きく関係していきます。
地味なイメージですが、その試合を左右することがあります。
成功すると特に日本人には感動を与えます。
組織や会社でも犠牲心を利用している。
誰かの犠牲になることや耐え忍ぶことが美徳である、
という風潮は今でも引き継がれています。
その思いを組織や会社は利用しています。
「辛いのはみんな同じ」
「会社の犠牲になるのは当然」
「気合と根性で乗り切れ」
「みんなやっているからお前もやれ」
でも実際は、犠牲になる人は毎回同じ人だったり、
あらかじめ決められていたりするものです。
犠牲になり続けていると麻痺してくる。
何度も何度も犠牲になっていると感覚も麻痺して、
それが習慣のように当たり前になってくるものです。
「自分だけが我慢すれば良いんだ」
「自分が犠牲なればうまくいく」
「犠牲になるのは自分の役目だ」
そこに楽しさややりがいを感じられているうちは問題ないけど、
自分でも気がつかないうちに心身はボロボロになってしまったり。
特に20~30代の若い世代と40代からの中高年とでは、
受け取り方やダメージも異なります。
仕事をする本来の目的を忘れていないか?
組織や会社の犠牲になるために仕事しているわけじゃありません。
仕事するうえで本来の目的は、
社会に貢献して誰かに感謝されることですね。
そして報酬を得ることで、自分の生活を豊かにしていきます。
自分の感覚でおかしいと思ったら、疑ってみるべきです。
うまく利用されないように、履き違えないように注意して下さい。
心や体を壊してしまう前にです。
犠牲になることが美しいかどうかは、
本人の納得ができないと成立しませんよ。
野球の送りバントにしろ、誰かに役に立っている、
社会に貢献できていることを実感できるからこそ、
はじめて成立します。
精神論や根性論で生きてきた中高年に知ってほしいこと
精神論や根性論だけでは通用しない。
特に中高年になると、気力や体力、勢いは若い世代には敵いません。
中高年なりの戦い方、方法を確立していく必要があります。
新しいものを受け入れる勇気と準備が必要です。
従来のやり方や方法に依存しきっていたら、
今後は通用しなくなるのは明らかです。
進化することを怠ってはいけない。
自身の進化を怠ってはいけません。
危機感を感じていないと、そのまま行ってしまう人がほとんどです。
現状維持のバイアスからはなにも生まれてきません。
これからも良い方向、良い人生を送るためには自分を変化して、
進化させていく必要があります。
自分で自分を決めつけないこと。
今まで経験していなかったり、知識がないことを理由に、
「できない」「無理」という判断をしていませんか?
少しでも興味や心が動くことには、試してみてから判断するべきです。
試しに経験してみて、実際どうなのか判断すれば良いだけです。
自分で自分を決めつけてしまって、
行動や可能性を狭めてしまうことが一番怖いことです。
努力は常にしないといけない。
これからの中高年は、精神論や根性論だけでは通用しませんが、
努力をしない、ということではありませんよ。
今よりもっと良い方向、良い人生にするためには、
継続して行える努力は必須です。
知識が欲しい人は知識を得るために読書したり、
趣味がない人は楽しさを感じる時間を作ってみてください。
健康に注意したい世代でもあるし、
日頃から体調管理には気をつけている人も多いでしょう。
「犠牲にしない努力」も必要です。
特に中高年の世代は、楽しい時間や自由な時間を削りがちです。
ずっと精神論や根性論を信じてきた証拠です。
気がついたら無趣味だったり、楽しい時間や笑顔を忘れています。
笑顔になれる時間をぜひ作ってみてください。
自分を解放してあげる努力を忘れないでくださいね。
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人生とは迷うこと。辛いときでも行動することをやめてはいけない
少しでも参考になれたら嬉しく思います。
今回はこの辺で。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。
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