死んだら楽になれる?大きな間違いと落とし穴の説。
人生を歩んでいると様々な壁にぶつかり、
自分の存在を消してしまいたくなるときがあります。
学校や仕事、家族との人間関係に悩んだり、
個人的な事情や病気などで苦しむこともあるでしょう。
ただ、自分で自分の存在を消してしまうことは、
実際には楽になれないとしたら?
今回は死んだら楽になれるのか?について、
個人の見解でまとめています。
死んだら楽になれる?
・死後の世界は間違いなくある
死んだらなにかも終わりと思われがちですが、
死後の世界は存在していると筆者は感じています。
スピリチュアルや霊的な話になってしまいますが、
生前の行動がその人の死後の世界を決めるともいわれています。
「死んだら全て終わり」という認識を持っている方は、
正直これからの情報は役に立たないかもしれません。
神社やお寺、お墓などが何百年もずっと存在しつづける意味は、
そこにあるんだと筆者は感じています。
・寿命を全うすることが人生の目的である
筆者は寿命について考えるとき、
親戚や祖父母でいつもニコニコしていた人を思い出します。
あっという間に逝ってしまったという印象ですね。
「寿命を全うされたんだなぁ」と改めて思います。
また、若くして病気で亡くなってしまった友人については、
正直とても考え深いものがありますね。
誰でもいずれは寿命が来るということです。
遅いか早いかだけのことです。
・死んだら楽になれる?かはその人次第
寿命を全うした人たちは、
死後の世界でも穏やかに過ごしているんでしょうね。
でも、自分自身で存在を消してしまった人は、
その過ちの大きさに苦しみ続けてしまいます。
誰かに気がつかれることもなく、
誰かに声が届くわけでもない世界でです。
「こんなはずじゃなかった・・・。」、
では済まされない世界へです。
どんな人でも産まれたときに生かされています。
産まれてくるときは一人ではありませんよね。
それは絶対に忘れてはいけないことです。
・「死」に逃げ道を作ることは大きな間違い
なにかも嫌で逃げたつもりが、
死後の世界はもっとひどい状況だったらどうでしょうか?
少しだけ冷静になって考えてみて欲しいのです。
咄嗟的に発作的に自決してしまう前にです。
実際に自ら命を断ってしまった友人らが、
笑顔で夢に出てくることありませんでした。
自責の念と明らかに後悔している表情だけで、
なにかを伝えることさえできない状態のようでした。
また、残された遺族や関係者に一生消えない傷跡を残します。
なんにも罪もない人たちにです。
その苦しみをずっと背負えますか?
全ての人が死んだら楽になれるのであれば、
なんらかの口コミで人口は大きく減っているはずです。
寿命を全うしたかそうでないのかで、
死後の世界は人によって大きく変わってしまうということです。
大きな間違いと落とし穴の説
・江戸時代のお坊さんの話
江戸時代の夜更けに、
川を渡す橋の真ん中に若い女性が立っていました。
たまたま通りすがったお坊さんがその女性に声をかけます。
女性は言いました。
「亭主に先立たれて身重でもあり、この先希望がありません。」
「いっそのこと、この川に飛び込もうかと悩んでおりました。」
お坊さんも応えます。
「死んで楽になれると思うの大きな間違いだ。」
「大きな落とし穴であると同時に子供まで犠牲にするのか。」
女性を諭すためにお坊さんは「牛の話」を聞かせていきます。
・「牛の話」を女性に説いた
重い荷車を毎日毎日引かされている牛がいました。
牛はなんとか楽になれる方法をいつも探していました。
そんなあるときに、
この荷車を壊してしまえば楽になれると思いつきました。
そしていつものように荷車を引きながら、
無意味に加速して、荷車を塀に激突させて破壊しました。
牛はこれで解放されると喜びました。
あとのことを考えることもなく・・・。
・「やっと楽になれる」と思ったものの
解放されたと思っていた牛でしたが、
後日に悲劇が訪れます。
牛の主人が新しい鋼鉄製の荷車を用意してきたのです。
とても頑丈で以前の荷車より重さが何倍もありました。
牛は以前の荷車よりも、
重くて苦しい日々を送るようになってしまったのです。
牛は安易な考えに大きな落とし穴があったことに後悔しますが、
「後悔は先に立たず」という話です。
・「人間とて同じこと。」
さらにお坊さんは女性に、
「人間とて同じことぞ。しかもお主は子供まで巻き込もうとしておる。」
「死んで楽なれると思うな。そこには大きな間違いと落とし穴だけじゃ。」
若い女性は涙してお坊さん一礼した後、
その場から去っていきました。
この「牛の話」からはいろんな受け止め方があるでしょう。
あなたはどう思いましたか?
ただ、江戸時代でも現代であっても、
通ずる部分が多いので今回紹介させてもらいました。
存在を消すくらいなら逃げろ辞めろ
・苦しみ続けるのが人生ではない
人生については人によって表現はさまざまですね。
「道」と例えたり「修業」と例えられたりもしますね。
ただ筆者は、
心から笑顔になれる瞬間を見つけることだと常々思っています。
人から産まれてきて、
生かされていることを忘れてはいけません。
誰しも誰かに支えられて今があるからです。
自分の存在を消したくなってしまったら、
まず自然と笑顔になれることに没頭してみてください。
・「逃げるが勝ち」を忘れていないか?
特に日本人は「耐える」とか「犠牲」が当たり前で、
それが逆に重しになってしまうこともあります。
「逃げるのは恥」「逃げるのは悪いこと」、
なんて根底にありますよね。
また、そういう教育を実際に受けてきています。
常識的に暮らしてきて、
人生に迷い自分の存在を否定するくらいなら逃げてください。
危機感を常に感じているのなら、
学校でも仕事でも休んだり変えてみたり、
いっそのこと辞めるべきでしょう。
一度身を引いて体制を整えるのが恥というなら、
どんどんかくべきですね。
「逃げるが勝ち」という思考や選択肢が、
長い人生では必要なときがありますよ。
自分にいかに開き直れるか、もとても大事です。
・最後に笑顔になれる人が真の勝ち組
悩んだり苦しんだりしてきた時間の長い人のほうが、
他人にも優しくなれます。
人生では勝ち続けることのほうが至難の業です。
負けてしまった敗因を分析して次の勝ちにつなげるのは、
どんな世界でも共通していますよね。
最終的に勝てる、
笑顔になれる人生が真のリア充や勝ち組ではないでしょうか?
恥や失敗から生まれてくるものは決して無駄じゃない、
ということです。
・存在を消そうとする前に
やりたかったことに没頭してみて下さい。
行きたかった場所にふらっと行ってみるのも良いでしょう。
メモ帳やノートに箇条書きにしてみると良いですよ。
やり残したことをやりきってから考えてみてください。
「またやりたいな」「また行きたいな」なんて思えたら、
もう存在を消す理由がありませんよ。
「またやるために」「また行くために」どうすべきか、
考えるほうが楽しいし自然と笑顔になれていますよね。
一度存在を消したくなっても開き直れたら、
案外なんでもやれるものです。
死ぬ気になって行動できる人間くらい、
強い者なんてありませんよ。
「生きていくうえでの逃げ」は取り返すことができますが、
「存在を消してしまう逃げ」は取り返しがつきません。
それだけは絶対に忘れないようにしてくださいね。
少しでも参考になれたら嬉しく思います。
今回はこの辺で。ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。
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