ゆるく生きるほうが人生は楽しくなる。仕事は手段のひとつ。

    

ずっとバリバリ仕事をしたい人はすれば良いし、

時間に余裕を持って生活したい人はそういう生き方をすれば良い。

個人で選択できるか、しないかだけのことです。

 

あなたはどう生きていますか?

 

ゆるく生きる」ことについては、賛否両論あります。

筆者は肯定派なのでゆるく生きることを望んでいますし、

これからも摸索するし実践していきます。

 

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生まれたときから「競争社会」

生まれたときから「競争社会」

物心ついたときからすでに「競争社会」にいる

 

生まれたときからもう既に、誰かと比べられる「競争社会」へ足を踏み入れています。

それは本人の意思とは無関係に自動的に進んでいきます。

 

競争社会」に勝ち残っていくために、良い言い方をすれば「努力」したり、

悪い言い方をすればずっとなにかを「犠牲」にしていきます。

 

その過程が人間を成長させていくのだとずっと教えられてきたし、

正しいことだとずっと筆者は思っていました

気合だ」「根性だ」みたいな「根性論精神論」が全盛の時代でしたからね。

 

ただ、いつからか「競争社会」に希望を見出せなくなり、

虚しい疲弊感しか残らない自分に気がつきました

 

本当は誰でも感じて気づいているけど耐えているだけなんですよね

みんなが我慢しているから、自分もそうしなくちゃ。」と自分に言い聞かせて。

 

そんな生活を何十年もしていたら、筆者の場合は体と心がボロボロになっていました

 

「競争社会」の果てには

人は必ず衰えていくもの

 

誰しも体力や気力がみなぎっている「全盛期」があります。

年齢で言えば20~30歳くらいでしょうか。

 

勢いのある「全盛期」のときは、「競争社会」を楽しむことさえできるでしょう。

実際に筆者もそんな時期がありましたからね。

 

ただ、どんな人でも必ず衰えを感じていきます

筆者の場合は40代を迎えたころに痛感しました

 

今までこなせていた仕事がこなせなくなり、

自分自身に対しての疑問が肥大化してしまうようになります。

 

  • 今までの自分はなんだったのか?
  • なんのために働いているのか?
  • 自分はなにがやりたいのか?
  • いつまで「競争社会」に依存し続けるのか?

 

人生を於いての「永遠のテーマ」のようなものについて、

深く考えてしまうようになり、まさに自分で自分を苦しめていきました

 

一度「疑心暗鬼」に陥ってしまうと、なにが正しいのかさえ見失います。

病は気から」とはよく言ったもので、崩れた精神からは体調にも影響が出る始末。

自分自身の限界を感じてしまい、身も心もボロボロでした

 

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「ゆるく生きる」とは?

ゆるく生きる」ことを決めた

「競争社会」に依存することをやめること
 
 
筆者の場合は、20年勤めた会社を退社しました。
 
40歳という人生の折り返しということも熟慮しての決断です。
 
 
強制的な「競争社会」でこれからも疲弊するのを辞めたんです
 
多くの人は否定してきたし、家族には失望させたかもしれません。
 
 
ただ、体と心を壊してしまった自分には、
 
定年まであと25年も耐える覚悟も気力もあるはずがありません
 
 
しかし、多くの人が家族のために簡単に決断できずに、
 
耐えながら生活していることは、十分に理解しています
 
 
 
今までできなかったことをしてみよう。
 
 
会社を辞めてから体調はわりとすぐ回復しましたが、
 
精神的な症状は時間がかかると医者にも伝えられていました。
 
 
今までやりたかったことをやってみると良いですね。
 
 
そんな助言もあってパソコンを始めたり、読書したりしました。
 
神社仏閣巡りもよくしましたね。
 
少しずつではあるけど、精神的にも元気が出てきたのを実感しましたね。

 

自分で自分を苦しめないこと

これが「ゆるく生きる」の全てだと筆者は感じています
 
 
窮地に陥ると大半の人はネガティブな思考に支配されていきます。
 
考えれば考えるほど悪い方向へ偏ったりします。
 
考えすぎるのは良くない」とは、そんな部分を捉えているんでしょう。
 
 
自分を否定して自分を責め続けても苦しいだけ
 
弱い自分をまず受け入れられるかどうか。
 
 
 
「なにかに夢中になることが一番の処方箋」だと、後に医者が教えてくれました。
 
なにかをずっと我慢することや耐えることが全てではない
 
それを同時に実感したときでもありましたね。
 
 
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ゆるく生きるほうが人生は楽しくなる

気がつかなかったことの多いこと

自分や大切な人を喜ばせるためになにをするべきか?
 
 
家族のために必死に仕事に耐えるのも悪いことではありません。
 
ただ、筆者の場合は自分を壊してしまい、
 
結果的に家族にも悲しい思いをさせてしまったわけです
 
 
筆者は、一緒に過ごす時間を増やしていくことでした
 
 
買い物に付き合ったり家事を手伝ったり、
 
一緒に過ごす時間を増やしてお互いに理解できる時間がありました。
 
何年も生活していたのに、知らない部分がたくさんあることにも気がつきます。
 
 
会社を辞めずに「競争社会」に依存し続けていたら、
 
こんな大事なことさえも気がつかなかったかもしれませんね
 

人に喜ばれることで人生は楽しくなる

「ありがとう」って自然に言えてますか?
 
 
誰かに感謝を表す言葉です。
 
積極的に普段から誰かに言えていますか?
 
 
意外と子供の方がしっかり「ありがとう」って言えていますね。
 
変な見栄やプライドなどのしがらみがないからでしょう
 
純真さと素直さから自然に言えてるわけです。
 
 
生活や習慣でなにかもが当たり前になってくると、人に感謝することを置き去りにしていきます
 
 
人から感謝されるとそれは必ず自分に返ってきます
 
まず自分から積極的に発信することがとても大切ですね。

 

自分から楽しくしていくこと

幸せは誰かが運んでくるものではない
 
 
なにかを変えたければ自分が変わるか、変えていくしかありません。
 
ただ、普段から誰かに感謝されることをしていればいつの日か必ず返ってきます。
 
 
ゆるく生きるか、生きないかも実際は自分次第です
 
楽しくできるか、できないかも自分次第
 
 
人と比較されるよりも誰かを喜ばせるほうに時間を使うほうが、
 
筆者は人生が楽しいと痛感した次第です
 
 
もっと早く気づいていたら・・・。なんて思うこともありましたね。
 
 

仕事は手段のひとつ

感謝の対価が報酬

いかに誰かに喜んでもらえるか?
 
 
競争社会」に依存していたときに気がつけなかった視点です。
 
どれだけで人に感謝されるかでその対価や報酬、人生さえも変わってくることに。
 
 
でも、まず人に感謝できないと感謝されることもありません
 
誰かに「ありがとう」を言えない人は、誰にも「ありがとう」って言ってもらえません
 
 
その真実だけは今も昔もずっと変わらない気がします
 
人の気持ちってそれだけとてつもない存在です。

 

ボランティアを行う人達

対価や報酬を求めていない
 
 
誰かの助けや喜ぶことだけを目的としています。
 
ボランティアを経験したことがない人にはわからない世界かもしれません。
 
ただ、彼らは無意識にそれが自分ら返ってくることがわかっているとも思います。
 
 
良いことをすれば良いことが返ってくるし、
 
悪いことをすれば必ずそれは自分に返ってくるということ
 
 
誰かが困っているときには、必ずボランティアの方たちの存在があります。
 
本当はそういう人達によって日本は支えられているとさえも実感しています。

 

人に喜ばれる仕事が成功する

成功者たちは共通して知っている
 
 
評価の高い経営者や社長と呼ばれる人達は、
 
顧客にいかに喜ばれるかがなによりも大事なことだと共通して知っています
 
それは今も昔も変わらない共通した経営哲学です。
 
 
物を売る、サービスを提供するためにいかに満足してもらうか、
 
常に日々追求していますよね。
 
 
それは個人でも同じではないでしょうか?
 
最初は身近な相手から感謝されていき、そこからどんどん広がっていく。
 
 
 
まず、今の自分ができることから始めていく。
 
それがゆるく生きることであり、人生を楽しくしていく秘訣です
 
 
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少しでも参考になれたら嬉しく思います。

ここまでお読みくださり本当にありがとうございます。

 
 
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